狂ったように動き出すものがあって,それの顔は青白く光り,両手は真っ赤。手を赤く染めるものは血ではない何かだが,おそらくはもうこの世に存在しないゲートからの贈り物だろう。しかしながら,キーボードのKを叩く右中指を切断しようとは思わない。なぜならば,存在自体が幻惑的であり,塗り固められた妄想と非在,そして現実世界の境界は思った程に曖昧ではないからだ。また,量子力学の賜物であるところの不確定性原理によると,あなたの左手は僕の左手であり,アンドロメダ銀河のどこかに存在する中性子星であり,そしてあなた自身である。それでもやはり妄想は止まらないし,そもそも止めることなどできはしない。我々は人間である以前に人間であり,また人間ではない。すなわち,我々自身が妄想であるからだ。よって,空想を断ち悟りを開くことなど不可能である。しかし,僕が自分の世界を脳の中に閉じ込めている限り,真実を見出すことはできない。書を捨て街に出ることなど,最初から無理な相談なのだ。それでは,あるところに,ジェファーソン・クレボルドという男がいたとしよう。彼は日本に住むホームレスである。外国人と思われる彼が何故日本という異国の地でホームレスをしているのかという疑問については答える必要がない。彼は僕が数秒前に生み出した架空の人物であり,もっと正確に言うならば人物ですらない虚構のシンボルである。彼にパーソナリティなどというものは存在せず,そのために彼には人権すら与えられていない。僕の一存で彼は家と家族を失いホームレスとなったわけだ。もちろん,一秒後に殺人鬼に彼の命を奪わせることだって可能なのだ。それが創造者の能力である。しかし,創造者というのは意外に非力で,その力が影響を及ぼすことができるのはせいぜい一枚の紙に現れた黒いインクか,目の前に青白く光っているディスプレイだけだ。もちろん,生み出した被造物が外界に影響を与えることはあるが,それらの挙動をコントロールする能力は,創造者にはない。ようするに,僕はジェファーソン・クレボルドをどのような目にあわせることもできるが,彼が見えない力(力と言うのは基本的に見えないものだと誰かが言っていた)によって外界,すなわち読者に影響を及ぼすことを止めることはできないということだ。当然のことだが,観察者,ここでは読者はそれぞれの価値観などによって観察した情報を取得し,解釈し,歪めて,分解し,再構築する。だから,僕の手を離れた被造物がどのような結果を産むかは,すぐに僕の意識の範囲外となる。これほど不便なことはあるだろうか。しかしながら,実は対処法はある。すなわち,フィクションを生み出し,登場人物を創造し,さらに彼あるいは彼女に新たなものたちを創造させる。これを延々延々と繰り返す。これで,創造者が物語ることを止めるまで,全ては彼の手の内にある。ハッピーエンドだ。

text by SN
2007/9/23
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