雨が降っていた。細かくはない、けれど、強くもない雨。中途半端だと思った。それは、まるでボクのようで。だから、傘も差さずに歩く。それでも、服も、髪もそれほど濡れることはない。いくら書いても、いくら殴りつけても、まったく誰の心にも届かないようなボクの文章と同じ。そう、同じ。いったい、どうすれば人の心に届くのか? その問いに答えるには? 誰が答えてくれる? 文豪たちの名作を読んでも、答えは得られない。ドイツ女を捨てて帰ってきたからと言って、そこに何があるのか? 石炭をばはや積み果てつ? だからどうした? これが名文ならば、三歳児が書く文章の方がよっぽどましだ。いや、違う。冷静になって考えてみろ。思考するんだ。冷静沈着に。騙されるな。雨で、気分が嫌になっているだけだ。漢文調のリズムもある、良い文章じゃないか? はっ! だからどうした。だからどうした? 鴎外の文章が素晴らしいことはわかった。だから、どうした? 彼の文章がボクの心に届いているのか? 違う。きっと、まともな人間であれば、彼の文章が描く、時代に、世間というものに流されるしかない、一個人の悲しみが、切ない別れが理解できて、胸を打ち、涙を流すのに違いない。ならば、ボクは? なぜ、彼の文章を理解できない? 頭が悪いのか? それとも、彼の文章とボクの心のインターフェースが違うのか? ああ、先ほどから疑問符ばかりだよ。まさに謎ばかりだ。だから、考えろ。考えるんだ。どうすれば、文章が書けるのか? そもそも、ボクは文章が書きたいのか? 答えはイエス。だから、こうしてキーボードに指を這わせている。これが、文章を書くという以外のなんという行為であろうか? 書きたくないのならば、とっととノートを閉じて、Macをスリープさせてしまえばいい。テキストエディタなんて、killしてしまえばいい。なのに、こうしてだらだらと書いている。それは、ボク自身が文字を書くことを望んでいるからに他ならない。ああ、ボクは何を書きたいのだろうか? 美しい物語? 読めば、誰もが涙する、美しい物語? 雄大な舞台、繊細な心情、スリリングな展開、目を見張る名文。そんなのは他の誰かが書くことだ。ボクが書くことじゃない。ボクが書くのは、ただただ汚辱にまみれた文章。ボクは、いつか見た/まだ見ぬ金髪の少女のために、それを書くのだ。──自意識過剰だ。誰だ。誰なんだ、ボクにとってのエズミは。大体が、文章に、小説に、何かがあるなんてまだ信じているのか? そうさ、信じている。音楽。ボクにとって、音楽と同じくらいに大切なもの。いや、もはや手に届かないものとなりつつある音楽よりも、まだ、何とか、かろうじてボクの手の中にある小説。それだけが、ボクを救うもの。助けて欲しいのか。救いが欲しいのか。ならば与えん。文字を。言葉を、文章を。そして、小説を。まだ雨は降っているのか? 並べろ、言葉を。それを、輝かせろ、辞書の中よりも輝いて、隣の小説よりも、美しく。──違う。こういうことを言いたくて、文章を書いているんじゃない。生きる。それがボクにとっては書くと言うことなのかもしれないから。もっと単純なんだ。答えは、美しい答えは、いつでも単純。純粋。始まりは静かに。徐々に盛り上がる中盤。狂ったようなソロ。アウトロは、いつまでも余韻を。雨音が聞こえる。耳を打つ。痛い。耳が痛い。音が痛いのか。アスファルトが濡れていく。しっとりと、濡れた地面。泣いている、なんて言いたくはない。これは、ボクだけのために降る雨なのだろう。一点の曇りもない、きれいな雨。打て。雨打て。電車が駆ける。轟音とともに、踏切が揺れる。揺れているのはボクの視界か。聴覚は意味をなさず。飛ばされる意識。体言が脳裏に浮かぶ。これを書き留める。それが、ボクから浮かぶほんとうの言葉。真実だ。小説にはならないかもしれない。ましてや、詩歌など! 季語も韻律も、何もかもを無視した言葉の羅列。意味? そんなものはこの自動的な言葉の流れの前には必要ない。ボクの頭から流れる言葉には、ひとつの流れがあるのだから。全く別の言葉が、次々と連なり続ける。細い糸が、綾なす。文章は、ひとつの織物。──意味のない比喩だな。しかも陳腐だ。空が泣いているような雨、ボクの心の闇のような夜。陳腐だ。怖いのは、言葉が止まること。この頭から言葉が出なくなるのが怖い。いつか、そんな日が来るんじゃないのか? ストーリーが出なくなるのは怖くはない。しかし、言葉が出なくなるのには、恐怖を覚えるのだ。だから、続ける。止まらないように、停滞しないように。そう、停滞。動き出すためには、何をすればいいのか? ああ、言葉が止まろうとしている。止まるな止まるな止まるな。無意味でも良いから続けろ。意味を持って書くのではない、書いたものに意味を付けるんだ。裏読みなどは、好きなやつにやらせておけばいい。そいつらとボクは違う。ボクは、言葉の裏まで読めない。単純に、言葉を綴るだけだ。意味の表面すらなぞらない。出てくる言葉に意味などないのだから。言葉が出てくることにこそ、意味があるのだ。だから、書き留める。「雨、まだ降っている」「だから、今日は月が見えない」。──いつもは月も見ないくせに。この街でも、オリオンが見えることに気が付いているか? 冬の空に輝く星座たち。空に上げられた英雄。ボクは、地面に這い蹲って、キーボードに蹲り、液晶に目を近づけて、ただただ文字を綴るのみ。──雨は、まだ降っている。

text by NAGAYA Kotohito
2006/11/15
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